こだわりのプロセス
ゼロから築いた、
遮光レンズの開発プロセス
遮光眼鏡は、既存製品の延長ではなく、「必要とされる理由」をつくるところから始まりました。まだ市場も十分に確立されていなかった時代、開発担当者自らが現場を歩き、ユーザーの声に耳を傾けながら、一つひとつ可能性を形にしていきました。
このページでは、立ち上げ期から遮光眼鏡の開発に携わった担当者へのインタビューをもとに、その歩みと開発に込められた思想を紐解きます。
1. 開発の背景と歴史
ゼロからはじまった、
遮光レンズの市場
足で築いた、はじまりの基盤
東海光学における遮光レンズ事業のはじまりは、米コーニング社の「CPF」というガラス製の調光レンズを取り扱ったことに遡ります。当時、私は開発部門に所属していましたが、ある日突然「3ヶ月間コーニングの営業に同行し、全国を回ってこい」と指示を受け、開発担当でありながら営業の現場へと飛び込むことになりました。
当時はインターネットやメール、携帯電話すらない時代であり、眼科ルートを開拓するためのツテも一切ありませんでした。大学病院や眼科医の先生方にアプローチするためには、臨床眼科学会などの展示会に足繁く通うしかありませんでした。組み立て式の小さな展示ブースを用意し、そこで製品紹介を行う。そうした場で知見を持つ方々に教えを受けながら、挨拶の仕方や関係構築の方法も一つひとつ身につけていきました。
電話をかけ、名刺をもらい、トライアルキットを届ける。視力系(ロービジョンケア)に関心を持つ眼科医がまだ少なかった時代に、現場を回り続けて関係を築いていった経験が、現在の遮光レンズ事業の基盤になっています。
2. 技術とこだわり
一人で背負った、開発の現場
“見え方”に向き合い続けた試行錯誤
遮光レンズの自社開発が本格化した当時、開発に関わる人員は限られており、設計や試作だけでなく、論文作成や学会発表、さらには営業活動まで、幅広い役割を担う必要がありました。現場に足を運びながらフィードバックを得て、それを開発に反映するというサイクルを繰り返し、製品の精度を高めていきました。
特に苦労したのが、プラスチックレンズの色の開発です。当時の素材は安定性に課題があり、染料の抜けや色のばらつきが発生しやすい状況でした。理想とするカラーを実現するための染料探しには長い時間を要し、製造工程の中でも何度も試作と修正を繰り返しました。基準を満たせずやり直しになることも珍しくなく、安定した品質にたどり着くまでには多くの試行錯誤が必要でした。
また、従来の遮光レンズは赤やオレンジなどの限られた色しかなく、日常使いには馴染みにくいという課題もありました。そこで遮光性能を維持しながら、ブラウンやグリーン系など自然に使えるカラーの開発にも取り組みました。見え方と見た目の両立にこだわることで、使用シーンの幅を広げていきました。
3. 眩しさに悩む方へ
見え方が変われば、行動が変わる
生活に寄り添うレンズでありたい
遮光レンズは視力を回復させるものではありませんが、光の感じ方を調整することで生活に大きな変化をもたらすことがあります。実際に、強い眩しさによって外出が困難だった方が、遮光レンズを使用することで外に出られるようになったという声はこれまでにも数多くありました。
私自身も網膜に関わるトラブルを経験し、夜間の見えづらさを実感しました。実際に不自由な状態を体験することで、見え方の変化が生活に与える影響の大きさをあらためて認識しました。また、見え方を再現する体験を通して、視界が制限されることの負担の大きさも理解することができました。
わずかに見え方が改善するだけでも、物の判別ができるようになり、安全性が大きく変わります。情報の得られ方も変わり、行動の幅も広がります。だからこそ私たちは、当事者の方々が何に困っているのかを正しく理解し、その人にとって意味のある見え方を提供することが重要だと考えています。
遮光眼鏡ユーザーの方へ
私たち東海光学は、30年以上にわたり遮光レンズの開発と市場形成に取り組み、現在ではこの分野で一定の認知をいただけるようになりました。しかし、まだ十分に行き届いているとは言えません。
補助制度についても地域によって差があり、必要としている方が必ずしも利用しやすい状況とは限りません。機能だけでなく、選びやすさや入手しやすさも含め、より多くの方に届く仕組みを考えていく必要があります。
今後は国内だけでなく、さまざまな地域に目を向けながら、それぞれのニーズに応じた製品を展開していくことが求められます。これからも、見え方に悩む方やお困りの方の生活に少しでも貢献できるよう、商品やサービスの開発を続けていきます。